文化センターの一角にひときわ高くそびえている博物館の建物は、市民の皆さんにとっておなじみのものでしょう。しかし、この建物を誰が設計し、建てる時に機能的な博物館にするためにどんな配慮がされたのか、そうしたことを知っている人はほとんどいないでしょう。博物館活動のベースキャンプである館の建物の生まれるまでを紹介します。

コンペ開かれる

 平塚市が博物館を作ることを正式に決めたのは、昭和42年のことで、図書館、青少年会館と一体となった文化センターとして建設するという計画でした。この年の夏には、10社の設計…

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いよいよ建築設計

 昭和45年に図書館、46年に青少年会館がオープンし、いよいよ博物館の建設が具体的に動きだしました。準備室が設置され、ただちに建築設計についても検討が始まりました。 丘設…

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設計にいかされた考え方

 さて、どんな点で、原案の手直しが行われたのでしょうか。まず、博物館の持つべき機能を洗い出し、展示空間、教育普及空間、研究空間、保管空間がバランスよく配分されるように考え…

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実施設計の中で

 昭和47年から48年にかけて、今度は建築の実施設計図を作る作業が行われました。これは、建物の部分部分の細かい仕様を決める作業です。設計は引き続き丘設計事務所に委託され、…

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展示室では

 展示室には、他の部屋にはない別の問題があります。それは、建築工事が完成したあとで、展示工事が行われるので、どんな展示がされるかを見越して設計しておかねばならないというこ…

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建築/展示/運営

 さて、こうして建築設計は波乱万丈ながら日程通り進んでいったのですが、実際に建物が建つには、多くの時間が必要でした。折からのオイルショックで市の財政状態が厳しくなり、建設…

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※ここに掲載した文章は、開館20周年記念展の際に発行された図録中の 第1章 博物館ものがたり 9.博物館の建物ができるまで です。執筆された故浜口哲一先生のご厚意によりここに掲載させて頂きました。