(浜野)えーと、ここはあの西町の稲荷と言いまして、須賀にはあの各町内ごとにあのお稲荷さんをえー町内単位で祭っているんですけれども、

(浜野)えーここのお稲荷さんは須賀のお稲荷さんの中で一番広い境内を持っているっていうふうに言われています。最近こういうふうになか整地して新しくなったんですけれども、

(浜野)えーここにもこの様に鈴緒っていうのがかかっています。でこれは今年の3月に新しく作り替えたものです。

(浜野)でここにあの昭和56年2月って書いてあるんですけれども、えーこれはこの枠だけは、その昔の古いのを使ってるっていう、でこの網を編んだ人がこの文字も彫って刻んでるっていうふうに言ってました。

(浜野)でこの伝平網っていうのは、えー須賀ではその地引き網が盛んな土地でありまして、でその網元っていうのがえー十軒あるんですけれども、そのうちの一軒のこの西町のすぐそばに住んでる方なんですけども、その伝平網の古田鱗作さんていう方なんですけども、この人が方々の神社にこれを奉納して、あげていらっしゃるそうです。えーまあ他の方もいくつかこの鈴を奉納してるんですけれども、この伝平網っていうのが非常に目に付きます。

(浜野)それから、奉納、海上安全、商売繁昌、

(浜野)それからここに浅八丸っていうのがありますけれども、これは昔あの鰹釣りをやっていた家で、今あの河口の方にあの船宿を経営してますけれども、えーそのこれはあのこないだ亡くなったばっかりなんですけれども金子○○さんていう方が、えー94歳ですか、亡くなられたんですけども、その方がずっとこの西町のあの町代っていうのを務めてまして、えーこういったあの神社の寄付なんかでも非常に貢献されていたということで、そこにあの金子さんの石碑も建ってらっしゃいますけれども。
 で、ここはあのさっきあのバス停に稲荷山っていうあの名前があったと思うんですけれども、ちょっとここはあの須賀の中でちょっと小高くなってまして、あの稲荷山っていうふうに呼ばれてるんですけれども、えー高い松の木があってやっぱり海上から目印にされていたということです。
 だいたいあのお稲荷さんのお祭りっていうのは、えーと2月の初午の日に行われるのが普通なんですけれども、須賀の場合は2月の11日でして、ですがここのお稲荷さんの場合は4月の29日だったかな、4月の後半の日にえー祭りを設けてます。
 またあの午後もあの他のお稲荷さんも見て回りますので、ここではこのぐらいにしてえーちょっと先に行きます。